不登校のご相談を受ける中で、
多くの保護者の方が、次のような不安を抱えていらっしゃいます。
「このまま話せない状態で大丈夫なのだろうか」
「気持ちを言葉にできないことが問題なのではないか」
「将来、社会に戻れるのだろうか」
こうした不安は、とても自然なものです。
しかし、不登校支援において、ひとつ大きな誤解があると私は考えています。
それは、
「話せるようになることが回復である」
という前提です。
人見読解塾では、
不登校の生徒に対して、
・無理に気持ちを言葉にさせる
・学校に行けない理由を説明させる
・前向きな言葉にまとめさせる
といった関わりを、目標にはしていません。
なぜなら、不登校の多くは
「語れないこと」そのものが問題なのではなく、
語れない状態を否定され続けてきた経験から生まれているからです。
言葉が出ない。
考えがまとまらない。
自分でも理由が分からない。
これは、成長が止まっている状態ではありません。
むしろ、安易な説明や納得に回収されていない、
思考がまだ生きている状態です。
人見読解塾では、
この「語れない状態」を
直すべき問題ではなく、守るべき現在地だと考えています。
私の不登校生徒へのスタンスを、
一文で表すなら、次の通りです。
「語れるようにすること」ではなく、
「語れない状態のままでも、公共に戻れる回路を残すこと」
ここでいう公共とは、
学校や社会、他者との関係全般を指します。
今すぐ社会に適応できるかどうかよりも、
戻ろうと思えたときに、戻れる場所が残っているかどうか
そのほうが、はるかに重要だと私たちは考えています。
善意から、
「なぜ学校に行けないのか話そう」
「気持ちを整理しよう」
と促されることも少なくありません。
しかし、無理に語らせることは、
子どもにとって
「正しい答えを言わなければならない」
「分かったふりをしなければならない」
という、新たな負荷になることがあります。
それは回復ではなく、
沈黙をさらに深くする関わりになってしまいます。
人見読解塾で扱うのは、
生徒自身の感情ではなく、文章の読解です。
読解には、
・正直に語らなくてよい
・無理に感情を出さなくてよい
・分からないままで立ち止まってよい
という、安全な距離があります。
文章を通して、
どこで分からなくなったのか、
どこで思考が止まったのかを、静かに確認していく。
それは、
自分をさらさずに思考だけを回復させる練習でもあります。
「公共に戻る回路」とは、
今すぐ学校に戻ることでも、
社会復帰を急ぐことでもありません。
・語らなくても関係が切れなかった経験
・分からないままで否定されなかった経験
・自分のペースで考えていいと感じられた時間
こうした経験の積み重ねが、
結果として、社会との接点を静かに回復させていきます。
保護者の方へ。
焦らなくて大丈夫です。
今、語れなくても、
語らされなかった時間は、必ず後から意味を持ちます。
人見読解塾は、
子どもを「話せるようにする場所」ではなく、
話せなくても切り捨てられない場所でありたいと考えています。
その先に、
それぞれの形で社会とつながる回路が、
静かに残っていくと信じています。