人見読解塾|共通テスト9割・総合型選抜に強い読解専門塾

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合格する勉強法、指導方針

人見読解塾の教育 ――評価しないことで、学びは前に進む

人見読解塾は、点数やテンプレートでは測れない「考える力」「言葉になる前の思考」を育てる学習塾です。

総合型選抜、志望理由書、小論文、そして不登校や学び直しの支援において、人見読解塾が一貫して大切にしているのは、

すぐに評価しないこと

答えを急がせないこと

です。


教育が人を止めてしまう瞬間がある

多くの教育現場では、次のような問いが当然のように置かれています。

いつ完成しますか

どれくらいできていますか

正解に近づいていますか

しかし私は、その問いそのものが、人の思考を止めてしまう場面を数多く見てきました。

考えているのに言葉にならない生徒

頑張っているのに筆が進まない受験生

問いを持っているのに、評価されるほど黙ってしまう人

人見読解塾が向き合うのは、
そうした 「まだ途中にいる学びの時間」 です。


人見読解塾はすぐに評価しません

人見読解塾は、学びを「できた/できない」ですぐに判断することをしません。それは、評価を放棄しているからではありません。

評価の位置を、意図的に後ろへずらしている

それが人見読解塾の教育設計です。


なぜ、評価を遅らせるのか


学びは、次のような循環の中で深まります。

行為する

迷う

立ち止まる

振り返る

もう一度考える

この途中で「良い」「悪い」「正しい」「不十分だ」といった評価が入ると、

思考が縮み

探究が止まり

学びが再開されなくなる

ことがあります。

人見読解塾では、これを経験の早期固定と捉えています。
この考え方は、ジョン・デューイ が示した「教育とは経験の再構成である」という思想にも基づいています。


人見読解塾の学習システム

「成果の代わりに、3つの状態を見る」

人見読解塾では、点数や完成度の代わりに、次の3つの状態を見ています。

1.学びの行為が止まっていないか

小さくても、再び考えようとしているか

同じ場所で思考が止まり続けていないか


2.意味が育ち始めているか

自分の言葉で説明しようとしているか

考えが揺れ、更新されていないか


3.社会とつながり直そうとしているか

他者の視点を取り込もうとしているか

学びを文章や対話として外に出そうとしているか

これらは、成果を競わせるための評価基準ではありません。

学びが前に進める状態にあるかどうかを確認するための観測点です。


「まだ分からない」を否定しません

人見読解塾では、

志望が定まらない

問いが言語化できない

自信が持てない

という状態を、未熟さや失敗とは考えません。

それはむしろ、

深く考えている証拠

次の一歩の手前にいる状態

であることが多いからです。


「まだ分からない」と言える状態を守ること

それが、本当に自分の言葉で書ける志望理由書や小論文につながると人見読解塾は考えています。


人見読解塾が育てたい学び

人見読解塾が目指しているのは、

早く正解を書く力

テンプレートを再現する力

ではありません。

自分の経験を引き受け

問いとして考え

他者に伝えられる言葉へと育てる力

です。

評価は、その力が育った あとで 行えばよい。

人見読解塾は、学びが再び動き出すための時間と構造を守る塾です。


おわりに

評価しないのではなく、急がせない

人見読解塾は、学びを急がせません。
それは、学びを甘やかすためではなく、学びを壊さないためです。

まだ途中にいる人が、安心して考え続けられる場所であること。

それが、人見読解塾の教育です。

動けない時間を生きているあなたへ

朝が来るのが、つらい日があります。
理由はうまく説明できない。
体が痛いわけでも、誰かに何かを言われたわけでもない。
ただ、行こうとすると、足が止まる。

学校に行けない。
外に出られない。
何もしていない自分が、責められているように感じる。

けれど、
その時間を生きているあなたは、
何もしていないわけではありません。

動けない時間というのは、
ただの停止ではありません。
心が必死に、自分を守っている時間です。

人は、限界を超えると、
前に進むのをやめます。
それは怠けではなく、
壊れないための、自然な反応です。

人見読解塾には、
「何もできていない気がする」と言う人が多く訪れます。

勉強が進んでいない。
友だちと比べて遅れている。
将来のことを考えると、息が詰まる。

でも、よく話を聞くと、
その人たちはずっと考えています。

「どうしてこんなに苦しいのだろう」
「自分は、この先どう生きたいのだろう」
「本当は、何を怖がっているのだろう」

この問いは、元気なときには、なかなか生まれません。

うまくいっているとき、
人は立ち止まらないからです。

不登校の時間は、
社会から遅れた時間ではありません。
自分の人生に追いつこうとしている時間です。

だから、無理に立ち上がらなくていい。
今すぐ答えを出さなくていい。
「ちゃんとしなきゃ」と思わなくていい。

大切なのは、自分を見限らないことです。

動けなくても、
言葉が出なくても、
未来が想像できなくても、
あなたは、ここにいます。

生きています。
感じています。
考えています。

それだけで、十分です。
人見読解塾は、
「早く戻す」場所ではありません。
「遅れを取り戻す」場所でもありません。

立ち止まってしまった時間に意味があったことを、あとから一緒に言葉にする場所です。

動き出すのは、
そのあとでいい。

今はただ、
自分を責めずに、
この時間を生きてほしい。

見えないところで続いているこの時間が、
いつかあなたの言葉になり、
あなた自身を支える土台になります。

私はその静かな時間を、信じています。

国公立至上主義の高校にお通いの方へ ―― 人見読解塾が「問い」と「やりたいこと」から進路を考える理由 ――

地方の公立進学校では、いまもなお「国公立志向」が進路指導の前提になっているケースが少なくありません。

それ自体を、人見読解塾は否定しません。
国公立大学には、学費、研究環境、社会的信頼といった確かな価値があります。

しかし、私が問題だと考えているのは
国公立か私立かではありません。
問題は、進路を考える順番です。


進路が「逆の順番」で決まっていないか

本来、進路は次の順番で考えられるべきです。

自分は何に引っかかってきたのか

なぜそれを考え続けてしまうのか

その関心や違和感は、どんな問いになり得るのか

その問いを、どこで・どの学問として深められるのか

ところが現実には、

まず国公立かどうか

次に偏差値

学部や学びは後付け

という逆転した順番で進路が決まってしまうことが多い。

この順番では、
「なぜその学部なのか」という問いが育ちません。


国公立志向が「問い」と「やりたいこと」を消してしまう

国公立志向が強い環境では、
進路は次第に「処理」されるものになります。

数字で説明できる

前例がある

誰も責任を取らなくていい

その結果、生徒は無意識に学びます。

深い理由は聞かれない

やりたいことは後回しにする

正解そうな進路を選ぶのが安全

ここで消えていくのが、
「やりたいこと」や「なぜそれが気になるのか」という内側の声です。

これは生徒の問題ではありません。
進路を制度と数字でしか語れない構造の問題です。


人見読解塾の教育方針

人見読解塾の教育方針は、極めてシンプルです。
やりたいことを、やれ。

ただし、ここで言う「やりたいこと」とは、
気まぐれな憧れや、思いつきの夢ではありません。

なぜか気になってしまう

放っておいても考えてしまう

うまく説明できないけれど、引っかかっている

そうした、
本人にもまだ言語化できていない関心や違和感のことです。

人見読解塾は、それを
「現実を見ていない」「甘い」とは考えません。

むしろ、

その引っかかりこそが、
学問や進路の出発点になると考えています。


「やりたいことをやれ」は、放任ではない

「やりたいことをやれ」と言うと、
放任主義や、無責任な進路指導だと誤解されることがあります。

しかし、人見読解塾が行っているのは真逆です。

なぜそれをやりたいのか

それはどんな問いに言い換えられるのか

学問分野としてどう整理できるのか

どの大学・学部がその問いに応答しているのか

を、徹底的に言語化します。

やりたいことを「問い」に変換する。
それができたとき、初めて進路は強度を持ちます。


国公立か私立か、ではない

人見読解塾は、

国公立が上

私立が下

という序列で進路を考えません。

基準にするのは、ただ一つです。

その大学・学部が、
その生徒の問いと「やりたいこと」に
本当に応答しているかどうか。

問いに応答しない国公立なら、
合格しても苦しくなります。

問いに応答する私立なら、
学び続けられる進路になります。


進路とは「処理」ではなく「決断」

学校現場では、進路が
前例や数字に沿って「処理」されることがあります。

しかし本来、進路は処理ではありません。
自分の問いと向き合ったうえでの決断です。

人見読解塾は、

正解そうな進路

無難な進路

ではなく、

自分が引き受けられる進路

を選ぶための場所でありたいと考えています。


人見読解塾の進路哲学

進路は制度から決めない

偏差値より問いを先に置く

やりたいことを、問いにまで掘り下げる

国公立も私立も手段の一つ

やりたいことを、やれ。ただし、最後まで考え抜ける形で。

これが、人見読解塾の教育方針です。

不登校の子に「話せるようになれ」は必要ありません

不登校のご相談を受ける中で、
多くの保護者の方が、次のような不安を抱えていらっしゃいます。

「このまま話せない状態で大丈夫なのだろうか」
「気持ちを言葉にできないことが問題なのではないか」
「将来、社会に戻れるのだろうか」

こうした不安は、とても自然なものです。
しかし、不登校支援において、ひとつ大きな誤解があると私は考えています。

それは、
「話せるようになることが回復である」
という前提です。


人見読解塾では、
不登校の生徒に対して、

・無理に気持ちを言葉にさせる
・学校に行けない理由を説明させる
・前向きな言葉にまとめさせる

といった関わりを、目標にはしていません。

なぜなら、不登校の多くは
「語れないこと」そのものが問題なのではなく、
語れない状態を否定され続けてきた経験
から生まれているからです。


言葉が出ない。
考えがまとまらない。
自分でも理由が分からない。

これは、成長が止まっている状態ではありません。
むしろ、安易な説明や納得に回収されていない、
思考がまだ生きている状態です。

人見読解塾では、
この「語れない状態」を
直すべき問題ではなく、守るべき現在地だと考えています。


私の不登校生徒へのスタンスを、
一文で表すなら、次の通りです。

「語れるようにすること」ではなく、
「語れない状態のままでも、公共に戻れる回路を残すこと」

ここでいう公共とは、
学校や社会、他者との関係全般を指します。

今すぐ社会に適応できるかどうかよりも、
戻ろうと思えたときに、戻れる場所が残っているかどうか
そのほうが、はるかに重要だと私たちは考えています。


善意から、
「なぜ学校に行けないのか話そう」
「気持ちを整理しよう」
と促されることも少なくありません。

しかし、無理に語らせることは、
子どもにとって

「正しい答えを言わなければならない」
「分かったふりをしなければならない」

という、新たな負荷になることがあります。
それは回復ではなく、
沈黙をさらに深くする関わりになってしまいます。


人見読解塾で扱うのは、
生徒自身の感情ではなく、文章の読解です。

読解には、

・正直に語らなくてよい
・無理に感情を出さなくてよい
・分からないままで立ち止まってよい

という、安全な距離があります。

文章を通して、
どこで分からなくなったのか、
どこで思考が止まったのかを、静かに確認していく。

それは、
自分をさらさずに思考だけを回復させる練習でもあります。


「公共に戻る回路」とは、
今すぐ学校に戻ることでも、
社会復帰を急ぐことでもありません。

・語らなくても関係が切れなかった経験
・分からないままで否定されなかった経験
・自分のペースで考えていいと感じられた時間

こうした経験の積み重ねが、
結果として、社会との接点を静かに回復させていきます。


保護者の方へ。

焦らなくて大丈夫です。
今、語れなくても、
語らされなかった時間は、必ず後から意味を持ちます。

人見読解塾は、
子どもを「話せるようにする場所」ではなく、
話せなくても切り捨てられない場所でありたいと考えています。

その先に、
それぞれの形で社会とつながる回路が、
静かに残っていくと信じています。

不登校は「問題行動」ではない|生きづらさから考える教育の役割

お子さんが学校に行けなくなったとき、
多くの保護者の方は戸惑います。

なぜ行けないのか。
何が原因なのか。
このままで大丈夫なのか。

答えを早く見つけたい気持ちは、
とても自然なものです。
親として、心配しないほうが難しいからです。


しかし、不登校の状態にある子ども自身も、
同じように戸惑っています。

「どうして行けないのか分からない」
「行かなければいけないことは分かっている」

そう思いながら、
体や気持ちが動かなくなっている場合も少なくありません。

そのとき、
理由を言葉にできないこと自体が、
子どもをさらに追い詰めてしまうことがあります。


不登校は、
親の育て方の結果ではありません。

また、
子どもの努力不足を示すものでもありません。

学校という環境、
求められる役割、
周囲との関係性。

それらが重なった結果、
子どもの内側で生じた違和感が、
「行けない」という形で表れていることがあります。


多くの教育の仕組みは、
「出席できること」を前提に作られています。

そのため、
そこから外れた瞬間に、
遅れている、置いていかれていると感じやすくなります。

保護者の方が焦るのも、
この構造の中にいるからです。


ここで大切なのは、
すぐに元に戻そうとしないことです。

「いつから行けるようになるのか」
「どうすれば前の生活に戻れるのか」

こうした問いが悪いわけではありません。
ただ、今はそれが最優先でない場合もあります。


不登校の背景には、
言葉になる前の生きづらさがあることがあります。

理由ははっきりしない。
でも、限界だった。

その状態を、
説明できないからといって否定してしまうと、
子どもは「感じてはいけなかった」と学んでしまいます。


教育には、
立ち止まる時間を認める役割もあります。

すぐに進めなくてもいい。
今は回復の途中でもいい。

そうした時間を、
「遅れ」としてではなく、
「必要な過程」として見る視点が、
保護者の方にとっても支えになります。


生きづらさは、
目に見えにくいものです。

だからこそ、
子どもが何もしていないように見えるときほど、
内側では大きな調整が起きている場合があります。

安心できる環境が整ってはじめて、
子どもは自分の言葉を取り戻していきます。


教育の役割は、
子どもを急がせることではありません。

子どもが「また動いてみよう」と思えるまで、
待てる環境をつくることです。

不登校は、
終わりでも、失敗でもありません。


保護者の方ができる最も大きな支援は、
「分からない状態」を一緒に引き受けることです。

理由が分からなくても、
今はそうなのだと認めること。

それは、
子どもにとって大きな安心になります。


不登校という出来事を通して、
教育のあり方そのものを見直すことができます。

焦らなくて大丈夫です。
比べなくて大丈夫です。

教育は、
元に戻すためだけにあるのではありません。

その子自身の歩幅で生き直すために、
寄り添う営みでもあります。

大学受験の勉強はいつ始めるべきか|高1・高2生が今動かないと後悔する理由

「受験勉強は高3からでいい」

もし、そう考えているなら注意が必要です。

結論から言います。

大学受験、とくに共通テスト対策は“今”始めなければ間に合いません。

本記事では、人見読解塾で日々指導している実際の高3生の状況をもとに、
なぜ高1・高2からの準備が不可欠なのかを説明します。


共通テストで苦戦している高3生が多い本当の理由

現在、多くの高3生が
「勉強しているのに点数が伸びない」
「模試を受け続けているが不安が消えない」
という状態にあります。

これは努力不足ではありません。
共通テストの性質を誤解したまま対策を始めてしまったことが原因です。

共通テスト国語・英語は、
知識量を測る試験ではありません。

  • 情報を素早く整理する力

  • 書かれている内容を正確に照合する力

  • 根拠にもとづいて判断する力

こうした思考の技術が問われます。

この力は、短期間で身につくものではありません。


「学校の勉強」と「共通テスト対策」は別物です

多くの生徒が見落としている事実があります。

共通テストの読み方・考え方は、学校ではほとんど扱われません。

授業で身につくのは、
・知識
・文法
・内容理解

一方、共通テストでは
「どう読むか」「どう判断するか」が問われます。

人見読解塾では、
文章のどこを見て、どの情報を拾い、どう結論に至るか
その思考プロセスそのものを指導します。


基礎が整うまでに最低でも半年かかる

英語・古文・漢文は、
基礎が不安定なまま演習を重ねても成果が出ません。

  • 語彙

  • 文構造

  • 文脈把握

これらを整理し直すだけで、約半年は必要です。

ここで重要なのは、
この半年は「受験勉強の準備期間」だということです。


実質的な受験対策期間は想像以上に短い

仮に、今から基礎を整えた場合を考えてみてください。

  • 基礎完成:6月前後

  • 実践演習期間:6月〜11月

  • 12月以降:調整・確認中心

つまり、
実質的な対策期間は5か月程度しかありません。

高3から本気で始めると、
この時間がほぼ残らないのが現実です。


高2生へ|「まだ大丈夫」は一番危険です

高2生の多くが
「受験はまだ先」と考えています。

しかし、共通テストは
センター試験時代とは別次元の試験です。

  • 読解量が多い

  • 判断に迷う設問が多い

  • 処理速度が合否を分ける

これらに対応するには、
時間を味方につけるしかありません。

高2の今から始めても、実は余裕はありません。


高1生へ|今始めれば、受験は「怖くない」

一方、高1生には大きな可能性があります。

  • 基礎を焦らず固められる

  • 思考力を段階的に育てられる

  • 高3で“完成形”に近づける

2年間あれば、
共通テスト国語・英語を安定して戦える力を作れます。

これは大きなアドバンテージです。


志望校に届くかどうかは「準備の量」で決まる

第一志望に届かなかった生徒の多くは、
能力が足りなかったのではありません。

準備を始める時期が遅かっただけです。

逆に、浪人して合格した人は
特別な才能があったわけではなく、
考える時間を十分に確保できたのです。


人見読解塾が「早期スタート」を勧める理由

高3スタートの指導では、
どうしても授業が詰め込みになりがちです。

  • 余裕がない

  • 思考の整理が追いつかない

  • 本質理解に時間を割けない

これでは、本来あるべき学びになりません。

だからこそ、人見読解塾では
早く始め、落ち着いて力を育てる受験を大切にしています。


まとめ|大学受験は「今日から」始まる

最後に、はっきりお伝えします。

  • 高2生:今から始めないと間に合わない

  • 高1生:今から始めれば大きな武器になる

大学受験は、才能勝負ではありません。
準備の早さが結果を決めます。

今日から、一歩を踏み出してください。
それが、合格への最短ルートです。

教育の目的とは何か|「役に立つこと」だけを教える教育の限界

教育の目的とは何か。
この問いは、時代が変わっても繰り返し問われてきました。

多くの場合、教育は
「できるようにすること」
「社会で役に立つ力を身につけること」
と説明されます。

たしかに、知識や技能は重要です。
試験に合格する力や、社会で通用する力を育てることも、教育の大切な役割です。

しかし、教育をその目的だけで語ろうとすると、
どこかで無理が生じます。


現代の教育は、成果が見えやすいものを重視する傾向があります。

点数。
偏差値。
資格。
数値化できる評価。

これらは比較や管理がしやすく、
「教育の成果」として説明もしやすいからです。

その一方で、
すぐには役に立たない学びや、
成果が測れない時間は、
「無駄」と見なされやすくなっています。


しかし、教育の現場をよく見ていると、
人が大きく変わる瞬間は、
必ずしも効率的な学習の中で起きているわけではありません。

むしろ、

・なぜ学ぶのか分からなくなった時間
・答えが出ない問いを抱えている時間
・立ち止まって考え込んだ時間

そうした「遠回り」に見える経験の中で、
学ぶ意味そのものが形づくられていきます。


教育を
「正解を早く出せる人を育てる仕組み」
として設計すると、
迷う人は評価されにくくなります。

しかし、迷うことは未熟さではありません。
考えている証拠です。

教育とは本来、
すぐに答えが出ない問いと出会う場でもあります。
そして、その問いを抱えたまま生きる力を育てる営みでもあります。


現代社会では、
説明できるもの、根拠を示せるものだけが
価値あるものとして扱われがちです。

教育の世界でも、
エビデンスやデータが重視されます。

もちろん、それらは必要です。
しかし、人が自分自身として生きるために必要な感覚は、
多くの場合、説明できないところから始まります。


「なぜか違和感がある」
「理由は分からないが、気になる」

こうした感覚は、
すぐには言葉になりません。
評価もできません。

それでも、
人が学び続ける原動力になるのは、
こうした説明以前の感覚です。


教育の役割は、
それらを早く言語化させることでも、
正解に回収することでもありません。

説明できない問いを、
そのまま持っていてよいと認めること。
急がず、比べず、
考え続ける時間を許すこと。

それもまた、教育の大切な役割です。


教育とは、
未来の正解を教えることではありません。

自分の中にある
「まだ名前のない問い」と向き合い続ける力を育てることです。

答えは、いつも少し遅れてやってきます。
だからこそ、教育は効率だけで測ることができません。

「国公立しか認めない」——進路指導の暴力で苦しむ生徒へ

地方の高校にはまだ根強く残っています。「国公立大学に合格してこそ進路指導の成功」という国公立至上主義が。

その価値観から外れる選択をすると――たとえば 私立大学に進みたいという希望を持つと、先生からいじめられる、冷遇されるという相談が、いまも途絶えません。

今年はそんな生徒さんを4名みています。

進路指導という名の暴力。これは教育ではありません。進路指導の皮をかぶった価値観の押し付けです。

高校生の大学選びは大人の転職先選びとわけがちがいます。

第1に、18歳はこころがまだやわらかい。真剣に考えた自分の人生の選択を大人が足蹴りすることは断じて許されるものではない。

第2に、大学とは学問の基礎の基礎を修める場であり、それが国立か私立かは関係ない。

第3に、私大に行きたいというのは「苦手科目からの逃げ」ではない。「ラク」をしているわけでもない。

30年前、私も高校の先生におおいにいじめられてきたので、心の底からそう思います。


 高校教員の「都合」

なぜ一部の教師は、私大進学を否定するのか。

理由は単純です。

学校の実績と評価が国公立合格数で決まるから。

なんならその先生の校長からの評価が「数」で決まるから。

ばかげている・・・・・

だから、生徒の人生を賭けた選択より「合格数」という数字を守ろうとする。

ばかげている・・・・・

教員としての出世のために、子供の将来を犠牲にすることは断じて許されるものではない。

教員の都合と生徒の人生とは一切関係ない。

高校の教員は生徒の将来の責任を負ってくれるのか?

いえ、卒業したらそれっきりです。


苦しんでいるあなたへ

もし、学校で居場所を奪われているなら、どうか覚えておいてほしい。

あなたには選ぶ自由がある。学ぶ権利がある。高校の教員よりも長く、自分の人生を生きていく責任がある。

だから、やりたいことをやれ!

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不安やしんどさを抱える受験生は「人見アカデミー」の文章を読んでみてください。
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人見読解塾は、あなたの味方です

国公立にしばられない大学選び

私立大学の総合型選抜対策

小論文指導・自己表現支援

共通テスト国語と英語、正答率9割対策

進路指導の暴力に屈しなくていい。
未来は、あなた自身の手の中にあります。

勉強はもとより、大学選び、すべり止め校の選び方など、私の知っていることをすべて駆使してあなたを応援します。必要であれば、大学教員との面談もアレンジします。

成績が上がる生徒と上がらない生徒の決定的な違い|人見読解塾が見た「学びのリズム」の重要性

「頑張っているのにどうして成績が上がらないの?」
これは多くの生徒、そして保護者の方が抱える共通の悩みです。

時間も努力も費やしているのに成果が出ない──その理由は、実は「勉強の内容」よりも「学び方」にあります。人見読解塾では、長年の指導を通して、成績が上がる生徒と上がらない生徒には明確な違いがあることを実感しています。


成績が上がらない生徒の特徴|テーマが毎回バラバラ
成績が伸び悩む生徒に共通しているのは、授業ごとに「今日はこれをやりたい」と言う内容が違うことです。

たとえば、ある週は共通テストの過去問をやったかと思えば、次の週には「学校の教科書をやりたい」と言う。その翌週には「小論文を書きたい」と話す――。毎回のテーマが変わることで、学びの流れが断ち切られ、勉強のサイクルやリズムが生まれないのです。

学びは「積み重ね」です。毎回違うテーマを扱うと、その都度ゼロからやり直すことになり、知識も思考も身につきません。いくら量をこなしても、方向性が定まっていなければ、努力は点で終わり、線にも面にもならない。これが、成績が上がらない最大の原因です。


成績が上がる生徒の特徴|一貫したテーマでリズムをつくる
一方で、成績が上がる生徒は「一つのことを続ける力」を持っています。
たとえば「読解力を上げる」と決めたら、何週にもわたって同じテーマの文章を読み込み、語彙や論理展開、筆者の意図を丁寧に追います。授業ごとに「前回の続き」となるように取り組むことで、学習のサイクルが自然と生まれるのです。

このサイクルが生まれると、勉強にリズムができ、理解が深まり、記憶も定着しやすくなります。成績が上がる生徒は、「わからない」から逃げず、「同じテーマを深く考える」ことで思考の筋道を鍛えていきます。それは単なる暗記ではなく、“自分で考える力”=読解力を伸ばす土台になります。

もっとも「逃げない」という精神論ではなく、なんらか人格的な要素と知的好奇心とが結びついて生まれる「なにか」があるかないか、という物理的側面のほうが大きいように私は感じます。かんたんに言えば、情緒不安定な生徒は授業ごとに「これやりたい」が異なる。


「リズム」と「継続」が学力を変える
学びにはリズムがあります。スポーツ選手が一定のフォームを繰り返して上達するように、勉強も同じサイクルを守ることで力が定着します。

人見読解塾では、授業の設計そのものを「前回の理解の続き」に置き、継続的に思考の筋肉を鍛える仕組みを作っています。これにより、生徒一人ひとりが「勉強の流れ」を自分でつかめるようになります。
成績を上げるコツは、特別な教材や裏技にはありません。むしろ、毎回の授業で同じテーマを掘り下げる「地味な継続」こそが、結果を変えるのです。これは読解力・表現力・思考力のすべてに共通します。


あれこれ手を出すより、ひとつの軸を決める
成績が上がらない生徒ほど、「これもしよう、あれもしよう、でも・・・」と焦りがちです。しかし焦りの中では、思考が浅くなり、成果も見えません。大切なのは、一つの軸を決めて、反復しながら深めていくことです。

たとえば「現代文の読解」を軸に据えると、そこから語彙力・要約力・小論文の構成力にも自然に波及していきます。
人見読解塾の授業では、こうした“一貫したテーマ学習”を通して、思考と表現を磨きます。毎回の授業がバラバラではなく、一本の道としてつながるように設計されています。だからこそ、生徒が「自分の変化」を実感できるのです。


学びのリズムをつくると、成績は必ず上がる
「毎回の授業で違うことをやる」状態から、「ひとつのことを深める」状態に変わった瞬間、成績は動き始めます。

それは、単に点数が上がるということではなく、「考えることが楽しい」「わかるって面白い」という感覚が芽生える瞬間でもあります。

この変化を生むために、人見読解塾は「読解力」「学習サイクル」「継続的思考」の三つを柱に指導しています。
勉強のリズムが整えば、どんな生徒でも伸びていきます。
「何をやるか」よりも、「どう続けるか」。その違いが、学力の差になるのです。

「書く」とは、自分を見つめる誠実な行為である

人見読解塾が大切にしている総合型選抜・小論文指導

本日受験を終えた生徒のお母さまからメールをいただきました。

小論文や創作課題はもちろんのこと、さまざまなテーマについて一緒に語り、考えてくださりありがとうございました。学ぶ本質を一緒に考えてくださったことで、総合型選抜に取り組む前とは別人のようです、と――。

私は指導のたびに責任の重さを感じていましたが、それでも毎回が心から楽しい時間でした。30年以上文章を書いて生きてきた現役の作家として、現役の哲学者として、私はその生徒につねに本音でものを言ったし、生徒も本音で書いたものを授業ごとに見せてきました。

時にはプロがプロにしか言わないような厳しいことも言いました。プロでも作るのがむずかしいコンセプトを作ることを私は平気で生徒に要求しました。沈黙のうちに終わった授業もありました。

しかし私は、なにがあっても絶対に持論を曲げなかったし、生徒もかならず「次」を出してきた。創作の本質を大学教員は評価するとわかっていたし、生徒もそれを理解していた。

だからなのか、受験前日の最終授業での生徒の表情は、驚くほど晴れやかでした。

そして、受験後。
「過去問とまったく違うテーマだったけど、小論文を書くのが楽しかった」
「思いの丈を書けた」
「漢字も全部書けた!」
と笑顔で報告してくれました。


書くことの苦しさと喜び ~小論文指導を通して育つもの~
「書く」という行為は、自分をどこまでも掘り下げ、自分で自分に問い続ける行為です。AIに聞くことはできる。参考文献を調べることはできる。しかし、自分が何を考え、何を伝えたいのかは自分にしかわからない。

だからこそ、小論文には苦しさが宿り、同時に成長の手応えと喜びが宿るのです。

半年間、生徒と共にその苦楽を共有し、今日、生徒はまた一歩大人へと近づき、私の前を通り過ぎていきました。おつかれさま! よく頑張ったね。


人見読解塾の教育方針 ~学問の世界に入るにふさわしい陶冶を~

教員という職業は、生徒の人生のある一点を共に歩み、そして見送る仕事。それをわかっていても、何度見送っても、いまだに慣れません。けれどその寂しさこそが、本気で向き合った証なのでしょう。

人見読解塾が目指すのは、単なる「小論文テクニック」ではありません。

思考力を鍛える指導

価値観を耕す対話

自分の言葉で表現できる力

これらこそが、総合型選抜で評価され、大学入学後も、社会に出ても、人生の糧となる力です。


ひと言メッセージ ~書くとは、未来へ踏み出す勇気である~

受験前日に晴れやかな表情だったあの生徒のように、次に続くひとりひとりが自分の言葉で未来を切り拓けるよう、私はこれからも本音で向き合い続けます。


総合型選抜で評価される力を育てるために、人見読解塾では 小論文講座 を提供しています。思考力・表現力・自己分析力を、伴走しながら磨いていきます。

🌸 知的好奇心を信じた4年の軌跡 ― 元・生徒が慶應大学大学院へ進学!

4年前、当塾で学んでいたある生徒から、嬉しい報告が届きました。なんと――来春、慶應義塾大学大学院に進学するとのこと。まさに努力と成長の集大成です。本当におめでとうございます。

この生徒は、最初から勉強が得意だったわけではありません。どちらかといえば、成績はビリギャルのようなスタートでした。というか、ほとんどの生徒がスポーツ推薦で大学に進学する高校にいましたから、あとは推して知るべしみたいな状態でした。

しかし、私はその生徒の「知的好奇心の深さ」だけは、最初の面談のときから感じ取っていました。だからこそ、偏差値や点数ではなく、その知的な探究心を信じて指導しました。


🎓 “勉強ができる”より“学びたくなる”が強い子は伸びる

最初の数ヶ月は、問題文を読むのも大変で、文法も理解が追いつかない状態。それでも、授業後に「今日の話、すごく面白かった」と目を輝かせて言ってくれました。その“わからないけど知りたい”という気持ちこそ、勉強の本質です。

どんなに基礎学力が低くても、知的好奇心を軸にした学びは時間をかければ必ず結果に結びつきます。

そして、あの春、敗者復活戦のようなギリギリのタイミングで受験に挑み、見事合格。そこからの4年間で、自分のテーマを深く掘り下げ、ついに大学院進学を決めました。


💡 人見読解塾の信条:「知的好奇心を信じる」

私は日々、東大受験する生徒から、通信制高校や総合型選抜を目指す生徒や、学び直しを希望する大学生・社会人まで幅広く指導しています。彼らに共通するのは、「自分のペースで考えたい」「わかるまで付き合ってほしい」という願いです。
それを叶えるのが、完全個別・思考型の指導です。

今どんなに成績が悪くても、私はまず「その子の知的好奇心」を見抜き、そこに火をつけます。それが読解力や小論文力、そして受験合格につながる最大の要因です。偏差値は後からいくらでも上がります。けれど、知的好奇心は生まれ持った宝です。


🏫 受験は「知の探求」を試す場

ちなみに、慶應義塾大学をはじめとする多くの大学が総合型選抜や面接で問うのは、「あなたは何を知りたくて大学に来るのか」という一点です。その問いに、表面的な答えではなく、4年間の探究の末に生まれた言葉で応えられた――

だからこそ、この生徒は大学院への道を切り開くことができました。


✍️ 最後に
偏差値40からでも、通信制高校からでも、スタートは関係ありません。
必要なのは、「知りたい」という純粋な知的好奇心と、それを支える正しい学び方。それを信じ、共に歩む指導をこれからも続けていきます。

成績が安定しないのは「技術」ではなく「家庭の空気」かもしれない。

受験期になると、生徒本人よりも揺れるのは、じつは「親」です。

人見読解塾には毎年、多くの保護者の方から
「勉強しているのに成績が伸びない」
「やる気があるのか、ないのか分からない」
「家の空気がピリピリしてしまって…」
という相談が寄せられます。

私はこれまで10年ほど、
現代文・英語・小論文・志望理由書の指導をしてきました。
そして同時に、哲学書の読み解き方を大人にも高校生にも伝えてきました。

この長い指導経験から、ひとつ確信したことがあります。

成績が安定しない理由の多くは、“勉強の仕方”ではなく“家庭の空気”にある。

これは言い換えれば──
親の不安が、子どもの読解力・集中力・成績に影響している
ということです。


🌱 技術は正しいのに伸びない──その裏にある“親の不安”

人見読解塾では、哲学書の読解で得た読解技術をもとに、
「本質的な読解技術」を教えます。
「行間を読む」「前提を読む」「因果を追う」「曖昧さを抱える」など、
一般の塾では扱わない深い思考を育てます。

この技術は、
共通テスト国語・英語で 8〜9割を安定して取る生徒を多数生み出しました。

しかし──
技術が完璧でも、
心が揺れていると読解力は働かない。

これは多くの保護者の方が、うすうす気づいていることではないでしょうか。

模試のたびに落ち込む

家で勉強が続かない

すぐ焦る・泣く・怒る

自信が底割れする

イライラが強い

本番に弱い

こうした状態は、
「勉強法の問題」ではありません。

子どもは、
親の不安、声のトーン、沈黙の重さ、
微妙な視線の変化を、驚くほど敏感に感じ取ります。

そして、親が不安になるほど
子どもの心は揺れ、学力の土台も揺れる。

私は毎年、この現象を何十回も見てきました。


🌿 心が整うと、学力が急に安定するという事実

ある生徒の例です。

技術は十分。
読解もできる。
伸びるはずなのに、なぜか模試の成績が乱高下する。

保護者の方と話しているうちに、
「家でいつも緊張している」ということが分かりました。

その後、
親御さんの“不安の扱い方”をすこし変えるだけで
家の空気が柔らかくなり、
子どもは落ち着いて勉強できるようになりました。

結果、
共通テスト本番で 現代文・英語ともに9割近くを達成 しました。

技術は変えていません。
変わったのは 家庭の空気と、親の心の状態 だけです。


🌸 だから私は、保護者に向けた講座が必要だと気づきました。

読解技術をいくら磨いても、
心が揺れていたら、力は発揮できない。

この“技術と心のズレ”をどう埋めるかが、
ずっと私の課題でした。

そしてようやく、
長年の哲学・教育・カウンセリングの経験を統合して
ひとつの答えに辿り着きました。
以下の講座を人見読解塾の姉妹校である人見アカデミーにて始めることにしました。


⭐ 【新講座】受験期の“親の不安”を整えるカウンセリング講座

― 親が落ち着くと、子どもは自然に伸びはじめる ―

この講座は、

親の不安の仕組み

親と子どもの心理的距離

声かけの方法

家庭の空気の整え方

不安・焦り・比較の扱い方

自己肯定感を削らない関わり方

を、哲学と心理を交えて丁寧に紐解く “親のための” 講座 です。

読解力をはじめとするお子様の知力が最大限に働くための
心の土台づくりをサポートするものです。


🌱 ご興味がある方へ

詳しい講座内容はこちらにまとめています。
読解塾とアカデミーの2つの指導がそろうことで、
子どもの成績は“本当の意味で”安定し始めます。

さあ、一緒にお子さんの学習環境を整えていきましょう。

【人見読解塾ブログ】共通テスト2か月前に“本当に”やるべきこと

共通テストまで、あと2か月。
この時期になると、
「いまからでも間に合いますか?」
「何を優先すればいいですか?」
という相談が一気に増えます。

結論から言うと、
2か月前の勉強は「量より反復」「拡散より収束」がすべて。
ここで大事なのは、
“やることを絞る” ことです。

では2か月前に何をやるべきか。
人見読解塾の視点から、3つにまとめます。

🥇 ① 過去問3年分を「3周」する(国語・英語)

国語と英語は“2階建て構造”です。

1階:文章理解
2階:情報処理(選択肢処理)

2か月前にやるべきは、
この「2階部分(選択肢を消す技術)」を身体に染みこませること。

■ おすすめ教材

赤本

青本

黒本

3種類やるのが理想ですが、
最低でも 同じ年度を3周。

1周目:普通に解く
2周目:根拠を声に出す
3周目:選択肢を“どこで切るか”だけ確認する

これで、
本番で迷う時間が激減します。


🥈 ② 現代文は「傍線部=言い換え」だけを徹底する

共通テスト現代文は難しくありません。
難しいのは、
文章を“読みすぎる”こと。

やることはひとつ。

✔ 傍線部と同じ意味の場所(=言い換え)を探す

これだけ。
文章を理解しようとすると失敗する。
大事なのは、
構造のパターンをつかむこと。

▼ よく出る言い換えパターン

Aだが、その一方でB → Bが答え

しかし/だが → 逆接の後ろが正解

なぜかというと → 理由が正解

要するに → 要点が正解

2か月前は“読解力を上げる”のではなく、
選択肢を切るスピードを上げる 時期です。


🥉 ③ 英語は「音読×タイパ重視」に切り替える

ここからは 音読の黄金期 に入ります。

音読は

集中力

語彙

速読

リスニング

すべてを同時に伸ばす“最強の勉強法”。

でも2か月前は回し方が違う。

✔ 1セット5分の音読を「1日6セット」

計30分でOK。
長くやる必要はない。

音読は“量より回数”。
筋トレと同じで“短く何度も”が最強です。


🌟 そして何より大事なのは「メンタルの安定」

毎年、過去問の点数は十分なのに、
第1志望に落ちる受験生がいます。

共通点はひとつ。

❗ 気分のムラがあること。

本番に強い人は、
点数ではなく 心が安定している人 です。

寝る時間を固定する

勉強時間ではなく「回数」で管理する

苦手より“できる問題”から始める

過去問の点数に感情を動かさない

勉強内容より、
自分のリズム を整えるほうがはるかに成果が出ます。


🎯 まとめ:2か月前は「絞る・反復・安定」です

過去問3年分を3周

傍線部=言い換え

英語は5分×6セット音読

気分に振り回されない勉強

やることを増やさない

これだけで、共通テストは安定して戦えます。


✏️ 人見読解塾から受験生へ

いまの不安は、
「まだ伸びる証拠」です。

2か月前の努力は
手応えが出にくい時期ですが、
この時期に積み重ねた“地味な反復”が
本番であなたを助けてくれます。

絶対に間に合います。
あとは、毎日を丁寧に積み上げるだけです。
さあ、お互い最後まで頑張りましょう!
私も頑張ります。

高3の10月に「行ける大学」が決まる ― 逆転合格の真実と基礎力の大切さ

本日は10月3日。現在高校2年生の人は、ちょうど1年後の今日、あなたが「どの大学を受験できるか」はほぼ決まっています。大学受験は、冬の共通テストや私立大入試がゴールのように見えますが、実際には高3の10月時点での学力が、そのまま本番の合否を大きく左右するのです。

現在、高校2年生の人は「受験まで1年3か月あるから大丈夫」と思うかもしれません。しかし、多くの先輩が経験しているのは、「高3の10月以降はあっという間に過ぎる」という現実です。結局、高3の10月の学力で受験本番を迎える受験生が大半なのです。

◎ なぜ高3の10月で「行ける大学」が決まるのか
ほとんどの受験生は、秋以降に劇的に成績を伸ばすことができません。なぜなら―

知識の定着には時間がかかるから
 暗記科目も思考系科目も、反復や応用練習を経て初めて安定した得点力になります。基礎が不十分なまま秋を迎えると、本番までに仕上げきれないのです。

演習に割く時間がなくなるから
 秋以降は過去問演習や実戦問題に取り組む時期です。しかし基礎が固まっていないと、演習に入る余裕がなく、結局「基礎固めの途中で受験本番」を迎えてしまいます。

だからこそ、高3の10月時点での学力=受験可能な大学になるのです。

◎ 「逆転合格」の真実
予備校の広告などで「3か月で逆転合格!」というコピーを見たことがあるかもしれません。確かに、短期間で成果を出す受験生は存在します。私もそういう生徒さんを輩出してきました。しかしその多くは、高3の10月までに基礎力を備えていた人です。

現代文なら、論旨をおさえて読める力がすでにあった

英語なら、英文を前から和訳し、段落ごとの要旨を把握できる力があった

つまり、「逆転合格」とはゼロから3か月で奇跡を起こしたのではなく、眠っていた基礎を伴走者や学習環境によって一気に開花させた結果なのです。基礎力なくして逆転はありえません。

◎ 高2の10月から始めるべき理由
では、今高2生のあなたは、何をすべきでしょうか。

- 現代文:論旨をつかむ練習
 共通テスト現代文は「傍線部の意味」「理由」を問う情報処理試験です。論旨を正しく押さえる練習を今から積むことで、安定した得点力が身につきます。

- 英語:前から和訳+段落要旨の把握
 共通テスト英語は、半分が英検2級レベルの英文をスピード感をもって読む力を試し、残り半分は情報処理力を試します。だから「英語力がないから点が取れない」のではなく、「処理の型を知らないから失点する」のです。高2のうちに、英文を前から読む習慣と要旨把握の訓練を始めましょう。

◎ 高2から始めれば、選べる大学が広がる
大学受験は「努力の量」だけでなく「スタート時点」で決まります。高3から追い込みをかけても、行ける大学は限られます。しかし、高2の10月から基礎を固め始めれば、1年後の高3の10月に選べる大学の幅は格段に広がるのです。

◎ まとめ:未来の自分をつくるのは今
高3の10月に「行ける大学」が決まる

「逆転合格」は基礎力を持つ人だけが可能にした現象

現代文は論旨把握、英語は前から和訳、数学理社は基礎反復

高2の10月から基礎を始めれば、未来の選択肢は大きく広がる

大学受験は「いつから始めるか」で勝負が決まります。1年後の自分に「もっと早く始めればよかった」と後悔しないために、今日から歩みを始めましょう。

不登校は「問題」ではない──あなたらしい知的好奇心を育てる第一歩

刑務所のほうがマシ?
進学する高校を選べなかった私は、高校がどうしても合わず、半分不登校のようなものでした。拙著『希望を生みだす方法』にも書きましたが、刑務所のほうがマシではないか、といった状態でした。その結果、今でいう適応障害からのうつ病のような状態に。だからこそ、「不登校=悪いこと」とは1ミリも考えていません。

人それぞれ、感受性やリズム、知的好奇心のかたちは違います。学校という仕組みが合う人もいれば、合わない人もいる。ただそれだけのことなのです。


不登校の生徒たちと向き合う現在の仕事

現在私は、主にオンラインで個別指導を行いながら、高校生・大学生の学習支援をしています。東大を受験する生徒から、偏差値50弱くらいの大学に挑戦する人まで、さまざまな学力の生徒さんを教えています。また、心理カウンセリングの会社も経営しており、「学校に行けない」「行きづらい」などと悩む生徒さんや保護者の方と日々向き合っています。

多くの生徒と接する中で感じるのは、不登校は決してマイナスではなく、その人らしさが表れているサインだということです。


「普通」とは何か? 不登校は「その人らしさ」のあらわれ

フランスの精神分析医にして哲学者であるジャック・ラカンは、「人生は<何か>に支配されている」というようなこと言っています。何かとは、今風に平たく言うなら個性=生まれ持ったものです。

私の恩師である哲学者・中島義道先生も、不登校を経験されています。学校や社会の中で「普通」とされるものになじめず、「なぜ生きるのか」と真剣に考え続けた青春時代が、哲学界の巨人としての哲学者の土台となりました。不登校は、「失敗」ではなく、「深く考える入口」になりうるのです。


不登校支援で大切にしていること

私が教育の現場で大切にしているのは、「その人のペース」と「その人の知的好奇心の深さと方向」を尊重することです。そして、大学受験という締め切りのあるシビアな現実に向けて、どうするのかを一緒に考えることです。

不登校支援においては、その生徒さんの希望するところまで知的好奇心を満たしてさしあげることも重要ですし、生徒の心に寄り添う姿勢も重要です。生徒の不安や迷い、やる気のなさを否定せず、一緒に考えながら一歩ずつ前に進む。そのためには、「方法」以上に「関わり方」が大切です。


保護者とのカウンセリングを通じて学んだこと

私が運営する心理カウンセリングの場では、保護者の方からのご相談も多く寄せられます。そこで改めて感じるのは、「正論を押しつけない」関わり方が求められているということ。当たり前なんですけどね。「正論」とか「普通」というのは、この国においては「無理して他者に合わせること」と限りなくイコールなのですから。

ときに私は生徒に、「ぼくも似たようなことで悩んだよ」「ぼくもそれ、くだらないと思う」などと教員らしくないことを言います。生徒に迎合しているわけではありません。自己に正直であること、自己と生徒に誠実に向き合うこと、inviteすること――こっちに来たら楽しいことがあるよ、と、知的好奇心の泉へと招くこと。そういったことが生徒の心を開くきっかけになります。安心できる居場所をつくること、それこそが教員の大きな役割だと考えています。


不登校は「自分を生きる」チャンス

学校に行けない状態は決してマイナスではありません。社会はおちこぼれと言いますが、とんでもないことです。他人より先に自分「を」歩み始めた証左、それが不登校です。そしてそれは、「誠実に自分に向き合うチャンス」です。

支援する側の役割は、「正解」を押しつけることではなく、その人らしさが未来につながるような橋をかけることだと私は思います。それこそが真の教育だと考えています。だから私は、集団塾ではなく、一人ひとりと向き合える個別指導を選んだのです。

成績が上がらない原因はこれ ~夏期講習をより有効に活用するために必要なこと~

だれしも能力の限界をもって生まれてきていますから、どんなに頑張っても成績が頭打ちになることはあります。しかし、多くの生徒は、希望する大学と自分の能力の限界との関連をなんとなくであっても理解しているように、私には見受けられます。


例えば、香川大学に行きたいという人は、「私には東大は無理だ」ということを知っているように見えます。それはそれでいいことだと私は思います。斎藤環氏によると、ひきこもりの生徒の中には、「なにがなんでも東大」とか「絶対に医者になる」と言う人もいるそうです。もちろん自分の能力の限界を考慮することなく、です。そういう人は外部から入ってくる情報が少ないので自分というものがよくわかっていないゆえにそう言ってるのだから、なによりも対話することが大切だと、斎藤氏は説きます(『オープンダイアローグとは何か』(医学書院))。


さて、志望校のレベルまで成績が上がらない人は、端的に言って、主体性がありません。生命力が弱い。主体的に学んでいないから成績が上がらない。このことは中学生を見ればよく分かります。


特に中学生の英語は、サラリーマン並みの情報処理を求められることが多いわけですが、実はそこに頭の良し悪しはさほど関係ないように私には見えます。
たとえば、不定詞の働きを理解して問題演習を繰り返す中で、不定詞がなんであるのかを、おそらくほとんどの人が理解できるでしょう。それができないとか、中学の教科書レベルの英文が読めないというのは、私の経験から言えば、主体的に勉強していない生徒にみられる現象です。


簡単に言えば、やればできることをやっていないだけということです。子供が大学受験生になると「よくわからない」ということで、家庭教師や塾に子供の勉強を一任する親御さんもいらっしゃいますが、原理は中学英語と全く同じです。主体的に学べば、ある程度、自分が希望する大学のレベルまでは到達します。到達しないのは、単純に勉強のやり方を間違えているだけです。


アメリカ現代思想の源流にエマソンという哲学者がいます。彼は次のように言います。


<思想と行動はたがいを表現しあいます。……考えることは行動の一部分です。>


つまり、エマソンは、勉強というものは生活に深く根を下していると言います。したがって、勉強したことが生活に還元される、あるいは生活の中でなんらかを考えたことが勉強に還元されるという、生活と勉強の往復運動の重要さを説きました。


これは中学生や高校生の勉強にも言えることです。簡単に言えば、自ら主体的に勉強するようになれば、自分の生活=人生と勉強がシンクロしあって、生きざまが生れます。中学生には中学生の生きざまがありますし、高校生には高校生の生きざまがあります。生きざまというのは大人だけのものではありません。


よく分からないけど、とりあえず手を動かしてみる。頭を動かしてみる。そういったところから、主体的に勉強する姿勢は生まれます。


勉強するとは、自分の人生を自らの手で切り開いていくことです。私も同じです。私はいまだに、大学の先生にお月謝を払って哲学を学んでいますが、私は哲学の勉強を通して学んだことが生活に還元されないと学んだ意味がないと考えています。学んだことが生活に還元されてはじめて、「勉強した」と言えると考えています。


私にはマナリンクと人見読解塾あわせて、常に25人ほどの生徒さんがいますが、毎年25名ほどの生徒さんを見ながら、以上のようなことを思います。どんなに能力が低くても、自ら主体的に学ぶ、すなわち、とりあえず分からないなりに手を動かしてみる生徒は、毎年合格しています。それで落ちるのは、繰り返しになりますが、勉強のやり方を間違えているのです。


※参考 『プラグマティズムの思想』魚津邦夫(筑摩書房)

受験業界において語られないタブー ~中高生の勉強の要諦とは?~

大手予備校にしろ、塾にしろ、家庭教師のプロフィールにしろ、「〇〇大学に合格!」という文字が華々しく並んでいます。「今年も東大に〇名、合格しました!」というのは、すでに大手予備校のキャッチフレーズになっている感があります。しかし、本当に大切な情報は、その背景で何人の生徒が東大に落ちたかです。

塾にしろ予備校にしろ、家庭教師にしろ、担当した全員が合格するなんてことは、ほぼありません。合格した人と同じ数、あるいはそれ以上の人が不合格になっています。そのことを受験業界は語りません。おそらく商売に差しさわるからでしょう。

しかし、私は、三者面談の際にはっきりと言います。例えば、私は昨年度、早稲田大学に2名合格させましたが、その背景で、同数の2名が落ちています。全5回とか全10回という単発受講の生徒さんとは、そこまで深く人間関係を結べないので、私に内緒で早稲田を受けた生徒がいるかもしれません。そういった可能性を考慮すれば、2名以上の人が早稲田に落ちていることになります。その事実を、私は三者面談ではっきり言います。

その理由は1つです。高い緊張感を持って勉強に臨んでほしいからです。

昨今の中高生の傾向として、机に向った時点ですでに疲れているということが挙げられます。特に中高一貫校は、学校から膨大な量の課題を与えられ、食事をしている時間とトイレに行ってる時間以外は全部勉強時間に充てろと言わんばかりの状況になっていますから、疲れて当然だと思います。

しかし、そのような状況にあるにせよ、勉強というものは短時間で集中してやるものです。短時間で集中するそのクオリティの高いコンセントレーションを2セット、3セット、4セット・・・・という感じで繋げていくことによって、例えば、医者の国家試験のために16時間勉強して合格した、というようなことになります。
16時間だらだらと勉強しているのではありません。質の高い集中力を維持する時間を積み重ねて16時間やってるのです。


ちなみに、受験というのは不思議なもので、意外な人が合格して、意外な人が落ちます。私の経験から言えば、落ちる生徒は生命力が弱い傾向にあります。例えば、親とうまくいってない生徒は生命力が弱い。あるいは、「今のこの自分」が好きではなく、何らか別の自分になりたいと思っている人も、生命力が弱い。言い方を変えれば、運が非常に弱い傾向にあります。

最後に。
私は生徒さんのことを生徒と呼びます。さん付けで呼びません。その理由は1つです。私は生徒をお客として見ていないからです。これまでも見てこなかったですし、この先もお客として見ないと思います。

その理由も1つです。生徒は、お客ではなく、同じ目標に向かって走る仲間だからです。生徒をお客さんにした途端、指導が甘くなります。お客様ですから、お金をいただかなくてはなりませんし、あわよくばお客様から紹介を引き出そうとします。その結果、生徒に好かれる指導になります。生徒は何かが出来ていない、何かが足らないから教えを請うています。つまり未完成かつ未分化な存在です。そういう人に迎合するような教育をすればどうなるのか。当然のように落ちます。

私は毎年、担当した生徒の何人かが志望校に落ちるという、文字通り胸と胃がキリキリと痛む経験をしていますから、生徒のことを絶対にお客様扱いしません。生徒と教員との双方が高い集中力のもと、出来ていないことを、忌憚なく「できてない」と指摘する。できたことは手放しで褒める。そういったいわば本音の教育をした上で、志望校に落ちるのなら、それなりに「納得感」があると思います。ようするに次につながる「落ち方」になります。

しかし、それをせずして「お客様が志望校に落ちた」となったとき、予備校や塾の教員や家庭教師たちは何を思うのでしょう。私はそれを知りたいのですが、語ること自体がタブーみたいになっている業界ですので、いまだ聞いたことがありません。

勉強は集中して短時間で終わらせて、遊ぼう!

おかげさまで今春もほぼ満席となりました。具体的にはあと1枠で満席になります。受講を希望の方はまずはお問い合わせください。


今年はひさしぶりに中2から浪人生まで、まんべんなく生徒さんが集まりました。昨年はほぼ高3生という状態で、それはそれで勉強になりましたが、今年はそれとはまた別の勉強ができそうで、うれしく思います。

現在、現代文は共通テストを解くための基礎テクニックの養成をしています。古文は基礎体力養成。英語は共通テスト対策を希望なさる方であっても、まずは最低でも2級を保持したいとのことで英検対策をやっています。中学生は勉強の習慣を身につけるためのあれこれをやっています。


親に言われてしかたなく勉強している人もいれば、、みずから主体的に意欲をもって勉強している人もいます。とくに海外在住のAくんの意欲はなかなかのものです。

今期は勉強に疲れているというか、学校の先生の言うとおりにやることに疲れているというか、そういった生徒さんが多いです。

私は思うのですが、勉強なんてものは、短時間で集中してパッと終わらせて、遊ぶ! というのが大原則です。特に中学生の英語なんて基礎をやってるわけですから、何か楽しいわけではありません。もちろん楽しくしようと思えばいくらでもできるわけですが、基礎というのはどの学問領域においてもさして楽しいとは思えないものです。

私は哲学基礎、すなわち哲学概論みたいな授業が本当に苦痛でした。その苦痛をどうにかしようと思えば、方法は2つしかありません。1つは、私のように苦痛に耐えて勉強して、どうにか主席かつ特待生で大学を卒業することです。もう1つは、上に申し上げた通り、勉強は短時間で集中して終わらせて、遊ぶことです。

遊ぶことが良(善)くないという風潮が、今の学校にあるように、私には見受けられますが、まったくもってよくない風潮です。いつまでもだらだら勉強するから成績が伸びないし、勉強が楽しくないです。勉強は短時間で集中して終わらせて、あとの時間は遊びましょう。

ちなみに、どこまで深く集中できるかが、その人の人生の質を決めます。集中力というのは、生まれ持ったものも当然あります。指揮者の小澤征爾さんはたぐいまれなコンセントレイションをお持ちだと、オーケストラのメンバーが口を揃えて言いますが、あれもおそらくは半分くらいは生まれ持ったものだと私は思います。

大学受験においても同じです。医学部を首席で卒業するような人は勉強の集中力が違います。もちろん長時間勉強しているはずですが、長時間の勉強に耐えうるクオリティの高い集中力を持っています。

いつまでもダラダラと勉強するのではなく、集中してパッと終わらせて遊ぼう!
遊ぶというのは、次の勉強の集中力を養うということです。遊びはただの遊びではないのです。

知的好奇心という崇高なものをどう扱うべきか

私の指導方針を一言で言い表すなら、ちまちま勉強しないという言葉になろうかと思います。すべての勉強はすべからく学問へと通じています。学部で教わるのは学問の基礎の基礎であり、修士課程で学問の基礎をやっと学べると言われますが、そういった学問に通じているのが、じつは中学生や高校生の勉強です。

勉強をチマチマしたものに「格下げ」しているのは、例えば、中学受験の塾だと、私は思います。大人にも解けないような難解なクイズみたいな問題の解き方を教え、暗記すべきものを大量に暗記させるといったチマチマした勉強のやり方を小学生のうちに教え込んでしまうどころか、体に叩き込んでしまえば、勉強とはそういったものだという認識を生徒たちが持ってしまって当たり前でしょう。残念なことだと思います。


特に、中高一貫校においては、それぞれの教科で膨大な量の課題が出されますので、どうしても勉強が作業になります。勉強が作業になってしまったら、勉強が小さくなってしまいます。本来勉強とは、もっとスケールが大きいものです。したがって、大胆にぶわっとやるべきものです。言い方を変えれば、どのような勉強にもその本質があります。まず、その本質を押さえるのです。

本質が分かっていないと細かな情報を暗記することができません。本質を理解しようと思えば、問題演習を繰り返す必要があります。例えば、英単語を覚えることができない人というのは、長文読解演習を怠っている人です。英単語というのは人の顔や名前と同じで、あちこちで見ていればやがておのずと覚えるものです。覚える量が多いので、それだけでは済まされないので、単語を暗記するだけの時間というのが必要なわけです。しかし、受験英語に出てくる常連さんの単語というのは、あちこちで顔を見ていればやがて覚えます。

勉強がチマチマしたものになるのを避けようと思えば、ダイナミックに勉強している先生、すなわち学問に通ずる知的好奇心を持っている先生に教わるのが一番だと私は思います。その意味で、私は大手予備校の先生はなかなかいいなあと思います。私の知っている大学の哲学の先生も、何人か予備校で教えておられます。

しかし、予備校というのは1対おおぜいであり、かつ成績上位3割ぐらいの生徒さんに向けて授業をしているのが常ですから、残りの7割の生徒さんはどうしても取りこぼされてしまいます。予備校というのはそういった商売なのでしょう。

その点、家庭教師はいいのではないかと思ったりもするのです。まあ贅沢といえば贅沢ですけどね。しかし、とりわけ大手予備校がない地域にお住まいの方にとってはいいのではないでしょうか。

「つなげる練習」から「推論」へ

どれだけ名の通った中高一貫校の中学生であろうと、難関大学を志望している高校生であろうと、頭の使いかたが分かっていない生徒さんが多いというのが、私の指導経験から言えることです。

例えば、中高一貫校でしばしば使われている英語の文法の問題集に「5ステージ」があります。その問題集を難しいと言う生徒さんが多いです。なぜ難しいのか? たった1行の文法問題に2つ以上の重要文法事項が盛り込まれているからです。
つまり、ちょっと問題を解く時に、あれもこれも気遣わなければ解けない設計になっているからです。
私はその問題集を非常に気に入っており、ほとんどすべての生徒さんの授業で使っていますが、ものすごく苦労して中学受験の勉強をしてきた生徒さんでも、1度に2つ以上のことを気遣うといった頭の使いかたができていません。言い方を変えれば、頭の中にある「あの情報」と「この情報」を組み合わせる、すなわち「つなげる」ができていません。しかし、皆さん優秀なので、やがてつなぎ方を覚えてサクサクと問題を解くようになります。

では、高校生はどうかといえば、現代文も英語も古文も漢文もすべて同じです。問題文が何を言ってるのかわからない。現代文の著者の主張は目の前の問題文に書かれてあるのに、それが見えてない。古文漢文に至っては絶望的。難関大学を志望する高校生でも、そういった状態からスタートします。

これは推論ができないのが原因です。推論とは、確実にわかっている情報から、不確定な情報「X」が何を言ってるのかを導き出す頭の使いかたです。学校ではほぼ教えてくれないでしょう。しかし、大学受験は推論することを求めています。
学校では先生が、例えば現代文であれば、この文章はこういうふうに読みますという説明をしてくださるそうです。古文であれば、助動詞や敬語といった文法事項をもとに1文ずつ、解釈を一緒にとってくれるそうです。それが推論の練習にならないかと言えば、決してそうではないのですが、やはり推論の本質を教えていないので、どれだけ学校の授業を真面目に聞いても「読めないものは読めない」という状態になってしまうと思われます。

推論をするには、文章の構造をとってあげればいいのですが、そのことをしつこく教え続けるうちに、さすが難関大学を志望するだけあって、やがて読めるようになり、京大オープン模試で古文漢文の正答率が9割でした! という生徒さんが現れてきます。

中学生から大学受験生に至るまで、頭を使うとは推論するということなのです。別に難しくありません。多くの学校の先生が教えていないからできないだけであり、やり方を教えると、たくましい生徒さんたちはやがて推論ができるようになり、難関大学へと羽ばたいてゆきます。
論理的思考力とか、主観を排して読めとか、あれこれ世間ではごちゃごちゃ言われますが、要するに推論の能力を磨けば志望校に合格するのです。なぜなら、とくに難関大はそれを求めているからです。そのことは過去問を見れば一目瞭然でしょう。

本当の勉強とはなにか

そのむかし、神戸の岡本にジニアスカレッジという大学受験専門の塾がありました。今思えば、関西学院大学の提携校である啓明学院の生徒さんが多く通っておられる塾だったと思います。そこの代表の吉村由美先生が『国語力をつける法』という本をお書きになっており、その本に感銘を受けた私は高校3年の夏、夏期講習を受講しました。先生の勉強に対する、あるいは学問に対するきわめて謙虚な姿勢は、その後、現在まで、私の先生となっています。

さて、ほかの先生もご指摘なさってるように、最近の生徒さんの傾向は「私に合った勉強をしたい」と思っている点にあります。私は昭和のスパルタ的教員ではないので、ある程度その要望を聞き入れて授業をします。しかし、授業をしてもしても成績が上がらないとなると、いい加減、保護者も生徒もしびれを切らしてきます。その時に私は本当のことを言います。「実は『あなたに合う勉強』というものはこの世に存在しないのだよ」と――。

勉強というものは、勉強する「私」が、勉強に体を「合わせる」ものでしかないのです。したがって、私に合う勉強というのは原理的に存在しません。学問の前に謙虚になり、やるべきことをひとつずつ誠実に積み重ねていく。そういった姿勢があるのみです。それを続ける中で、あなたの体がおのずと勉強にフィットしてゆくのです。

私の印象だと、中堅どころの中間一貫校の高校生に非常に多いのが、「私に合う勉強」以外を受け入れようとしない生徒さんです。彼、彼女は中学受験から頭が止まっています。すなわち、暗記すればどうにかなると思っています。その姿勢で高校3年生の国語や英語に歯が立つはずがない。しかし、ご本人はあくまでも「私の姿勢」のままでどうにか成績を上げたいと言ってきます。

勉強にあなたの姿勢を合わすのです。私はさほど厳しいことを言わない教員だと思っていますが、それでも、自分の体を勉強に合わすというのが厳しい言い方のように感じる生徒さんもいらっしゃいます。しかし、これは多くの優秀な先生が口を揃えて言うことですが、本当のことというのは、ときに厳しく聞こえることがあります。なんでもかんでも「いいよいいよ。あなたに合うことだけをやろうね」と言う学生バイトのような教員を、私はまるで信用していませんが、それは上記のような理由によります。

つまり、本当の勉強とは、勉強をとおして自分が変わる。そういった勉強のことなのです。「私は変化したくないのですが、それでも志望校に合格したいのです」という言い方は、したがって原理的に矛盾でしかないのです。